2013-01-21 [時事]
「(受験生は)生きているだけで丸もうけ。またチャンスはある」としたのも、配慮に欠ける発言だ。
部活の顧問同士の癒着はなかったのか?
推薦制度を利用してのこうした「事件」が中学にもあったのではないか?
このあたりのことを指摘できないのがメディアと橋下のアタマの限界。
改革すべきは、閉鎖的、独善的な教育界の体質だ。政治的中立を盾に外部からのチェックを拒んできた教育委員会や服務規律に従わない一部教師の存在、同一校での長期勤務を許す硬直した人事など問題はいくつもある。それが体罰の温床になったともいえる。
聖域になってしまっている教育界には司直の手で解決するしか方法はない
2013-01-21 11:47
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わかっていても大衆迎合の仮面をかぶって報道しない自由が報道の自由だと思っているマスメディアには飽き飽きします。
by yukikaze (2013-01-22 12:46)
現実 (現在時制) の内容は、日本人により「世の中は、、、、」の形式で言い表されている。
現実は一つであり、個人的な多様性が見られない。日本人の真理ともいうべきものである。
だから、もしも個人的な発言に違いがあれば、事実関係調べが行われる。
多様を尊重する社会には、真の個人主義がある。
非現実 (遠未来・遠過去) の内容には、個人的な多様性が見られる。
非現実に対応する文章構文があれば、その内容は成案・考えとなり個人差が出てくる。
対応する文章構文がなければ、想いから矛盾を排除できず、空想・出鱈目にとどまり鬼も笑う。
遠未来の社会の内容が明らかに描かれれば、建設計画に着手できる。人々の協力も得られる。
建設的な意見の持ち寄りにより進歩ははかどる。
遠未来の社会が明らかにされなければ、建設計画もできない。人々の協力も得られない。
不毛の議論の連続で、人々は未来に対する不安と閉塞感にさいなまれている。
筋があれば理想 (ideal)になる。なければ空想 (fantasy) になる。
日本語には、未来時制がないから理想の世界は展開できず、現在時制の世界における戯けごとになる。
一寸先は闇と見ている政治家たちに導かれて、国民の生活は動いている。
自分が死んでもこの国がまっすぐに理想の世界に進むようなルール作りを政治家たちにはしておいてもらいたい。
それには、時制のある言語 (英語) の教育が必要である。
英米で高等教育を受けてきた者を活用できる知的な社会の枠組みを作って、彼らを優遇しなくてはならない。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
by noga (2013-01-25 03:04)