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チベット [歴史]

中国の古代史では吐蕃ですね。
元(モンゴル)の使用した文字もチベット文字の変形らしいです。
元気だった頃のチベットは中原まで攻め込んで、長安を占領したりもしてます。
唐と不可侵条約を結んだりしてます。
元との関係はかなり複雑で、皇帝の正当性をチベットのパスパが保障する替わりにパスパのチベット支配を元が保障するという相互依存。チベットが元に朝貢したり、徴税を受けていないので支配されたとは言えない。
明にいたってはほとんど関係がない。チベットの高僧が訪問した記録はあるものの、チベットの政治に関わった僧ではないために朝貢という形ではないことが容易にわかります。
清になると元の時代同様不思議な関係になる。順治帝は来訪したダライラマ5世を自ら向かえ、お互いに称号を与え合ったりしているので、この当時も独立国であったことがうかがえます。その後内乱でチベットは乱れある程度、清朝の支配がある程度及ぶものの、ネパール、カシミールなどの紛争により清朝の勢力もチベットからひいてしまう。そしてネパールが侵入し清朝が派兵したあと、乾隆帝の出したチベットに対する布告はチベットの内政改革であることから、チベットに支配権を確立していないことが容易に理解できる。
例えば日米安保を何度も発動させれば米国が「いい加減にしろ」と日本にクレームをつけるくらいなモノだと考えれば良い。

その後、清は英国の影響を強く受けるようになったチベットを攻め、ダライラマを一時的に追い出すことに成功するものの
清朝が滅亡し、占領軍が降服した。

第二次大戦中は中立国であったことも明記しておきたい。

チベットは歴史を通じて朝鮮半島の王朝と比較すれば、独立性が高い国であったと言える。

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NOBU

そもそもこの30年間、チベット=中国関係のTV報道自体が異常に少なかったかと。ネットで軽々調べられる時代になって、次から次から、チビット関係のひずみが我々の目の前に浮かび上がって来ました。歴史もなにも、まずは当人たちの「人権」「意思の自由」こそが尊重されるべきですよねえ。信教の自由が無い共産党国家だなんて、必ず間違っています。沿岸部と内陸部の所得格差の行き着く先は「内戦」しかないような気がするんですが…
by NOBU (2008-03-18 19:17) 

T.N

毛沢東という聖域を引きずる限り未来は暗い気がします。
実は「共産主義」はカルト教団の教義と同質の欠陥がある気がします。
by T.N (2008-03-19 01:55) 

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