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日露同盟史料 [歴史]

また和田か。
日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見
日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。日露戦争についてはこれまで、作家司馬遼太郎氏が小説「坂の上の雲」で論じた「追いつめられた日本の防衛戦」とする見方も根強く、日露戦争前史を見直す貴重な発見と言えそうだ。
 和田名誉教授はロシア国立歴史文書館(サンクトペテルブルク)で、皇帝から信頼された大臣待遇の主戦派政治家ベゾブラーゾフの署名がある1904年1月10日付の同盟案全文を発見。同盟案は「ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだけだろう」と分析、「ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する」ことなどを提案していた。
 ベゾブラーゾフが日露同盟案を準備していることを駐露公使が日本の外務省に最初に打電したのは同月1日。12日には詳細に報告していた。外務省が駐韓公使館に参考情報として転電した電文を、和田名誉教授は韓国国史編さん委員会刊行の「駐韓日本公使館記録」の中から見つけた。
 当時の小村寿太郎外相は日露同盟案の情報を得ながら、同月8日、桂太郎首相や陸海軍両大臣らと協議して開戦の方針を固めた。12日の御前会議を経て、同年2月、ロシアに宣戦布告した。


:アホか。当時は日英同盟の交渉中でハードルが高かった。でも政府は日英同盟が本線。一部の政治家たぶん和田が名前を出さないところを見ると伊藤博文の件だと思う。博文公は親露派で日英同盟は無理と考えていたので独自に日露同盟案を実行しようとしており、博文公がロシアに行く寸前に日英ともに察知し、英は極端にハードルを下げて日露同盟を阻止するために同意、日本の外務省は博文公を止めて日英同盟が成立した。
この史料は伊藤博文の交渉が想像以上に進んでいたことが証明されただけで日露同盟を蹴っ飛ばして日本が戦争を仕掛けた証明ではない。
当時の日本の国力では敵対する両国に同盟は結べないし、当時の常識からも大きく外れている。ということは理解しておくべき。

>「ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだけだろう」

:でもロシアの狙いは最終的には北東アジアの植民地化であったことには変わらない

>「ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する」

:朝鮮を空白地帯にすることでロシアの駐留も可能にしているので常に一方的条約破棄による開戦は否めない。その場合、日本は戦略的に非常に不利。

>韓国国史編さん委員会刊行の「駐韓日本公使館記録」の中から見つけた。

:やっぱりそこを研究していたかw

和田春樹東大名誉教授「来年は天皇の訪韓が必要」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123004&servcode=A00§code=A10

日本の「姜尚中ブーム」に注目、和田春樹東大名誉教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091127-00000016-yonh-kr

「韓国、独島問題あせる必要ない」東大教授
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=78362&servcode=200§code=200

さすが北の工作員を研究室に入れる御仁は違います

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genn

それまでのロシアの態度と行動は北東アジア侵略一直線だし、そもそもロシアは近隣諸国との同盟や条約を結んでも守ったことがありません。 日本をクサす和田春樹の分析(歪曲)力は "東大名誉教授" の資格を剥奪するべきものだと思います。


by genn (2009-12-19 14:58) 

yukikaze

和田春樹は十分に学者として死刑に値する歪曲を続けています。そろそろ何らかの処分が必要では。
by yukikaze (2009-12-19 18:24) 

T.N

gennさんへ
トルコが戦術的に負けても外交で勝ったために北東アジアに不凍港を求めて進出してきましたから。不凍港をあきらめるはずがない。そこんところを博文公は読めていなかったのかも。

yukikaze さんへ
政治が学問に口を出すなといいながら、自らの政治信条に基づいて「研究」してくれますからなぁ。
by T.N (2009-12-20 03:24) 

abusan

ま た 和 田 春 樹 か !
by abusan (2009-12-20 09:12) 

タイロンF

こいつの顔は李朝末期のどうしようもない典型的なヤンパンの顔だと以前から私は思っていた。
あのへんてこな帽子をかぶせればそのまんま。

日露同盟については当時の日本の目的は朝鮮半島の親露化阻止が第一なんで、その目的の手段として画策していて当然と思う。伊藤の思惑(半暴走)がもっと大きな日英同盟を生む結果となったと言ったところか。

今でも日本は対米中と正三角形と言っている。~次元は全く違うけど。
by タイロンF (2009-12-20 10:34) 

T.N

abusanさんへ
ハイあの和田です。

タイロンFさんへ
今は米、中、欧の3極化がおきつつあるので、ロシアあたりとつるんで第4極を作るくらいの大きな絵をかける政治家はおらんのでしょうかね
by T.N (2009-12-21 01:38) 

通りすがりです。

和田春樹についてはよく知りませんが、ブログ主様はこの記事について2点ほど誤解していらっしゃるようです。

1.「1904年1月10日付」の「同盟案」ということで、これは日英同盟締結交渉と並行していた日露交渉に関する史料ではありません。日露戦争直前に、主戦派だったはずのベゾブラーゾフがこのような案を出していたことは興味深いと思います。
2.史料発見の経緯は、別のソース(http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200912070237.html)でも指摘されているとおり、ロシア側史料の発見が先のようです。その上で、「駐韓日本公使館記録」からも同史料が発見されたと言うことで、日本側が「同盟案」を受理し検討していたことが判明し、今回の記事になったんだと思います。

ただ、個人的にはこの史料がはたして「同盟案」と言いうるものだったのかについては疑問があります。同時期の日露交渉の経過から見ても別に突飛な内容ではないですし…この辺は新聞がちょっと脚色したのかも知れません。最大のポイントは、やはり主戦派であるはずのベゾブラーゾフがこのような対案を持っていたということでしょうか。
by 通りすがりです。 (2009-12-24 05:56) 

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