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万次の石仏 [歴史]











何度見ても不思議です。

日米開戦の真実 [歴史]

12月7日午後0時10分(現地時間)、アメリカ海軍司令部に暗号電報が入電。
「ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ。」
それは米軍艦が、公海上 ── アメリカの領海外において、日本海軍の潜水艦を攻撃、撃沈した事を報告する暗号電報だった。(米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75(1945年6月7日),みすず書房『現代史資料 35巻』)

12:10 米軍、「宣戦布告」無きまま、日本潜水艦を攻撃し撃沈(対日開戦)
13:00 本来、日本側が「国交断絶通告」をアメリカ側に通達すべきだった時間
13:30 日本軍、ハワイ・真珠湾を攻撃(対米開戦)
14:00 在ワシントン日本大使館、「国交断絶通告」をアメリカ側に通達

「大失態」を犯して日本の名に泥を塗った大使館員達は、何の裁きも受けず、戦後、高級外務官僚となっており、いかに「東京裁判」が恣意的で異常なものであったかがわかります。
私見では彼らの裏切りは自らの意思であったように思う。戦後も高級官僚として生き延びさせることがUSAにとって国益になったのだと思う。


博文公没後100年 [歴史]

伊藤博文公百年祭:今年没後100年を記念 碑の除幕お披露目--光市で /山口
光市束荷の伊藤公記念公園で7日、伊藤博文公百年祭が開かれ、今年没後100年を記念した碑の除幕式などがあった。
 神事があり、主催した百年追頌(ついしょう)会長の安倍晋三元首相があいさつ。続いて、市川熙市長や平岡秀夫衆院議員らが除幕のひもを引き、記念碑がお披露目された。
 碑は、伊藤が1885年、明治天皇の山口行幸に随行した際に詠んだ五言絶句の一節。「悠然天地心(ゆうぜんてんちのこころ)」と記され、「ゆったりとした天地の心を得て事に当たる」との意味がある。書は安倍元首相が揮ごうした。
 伊藤は束荷村(現・光市束荷)の出身。初代内閣総理大臣を務め、初代韓国統監だった1909年、旧満州で狙撃され死亡した。記念碑が建った同公園内に伊藤の旧邸宅と、功績を伝える資料館がある。資料館は歴代首相の書も集めており、鳩山由紀夫首相と祖父の鳩山一郎元首相がそれぞれ直筆した「友愛」の書が6日から公開されている。


:個人的には評価が難しい方です。朝鮮合邦に反対していたのは「ロシアが怖い」だったし・・・
総督時代に半島の人口増やすわ、税制を整備させ両班の搾取から農民を救うわ、病院を作って乳幼児の死亡率を下げるわ、挙句の果てに教育制度を充実させた。

松下村塾では下っ端だったわけが判る気がする。
知的優秀さでは久坂玄瑞がピカイチだったし、久坂ほどの冷静さと考察力に欠けるものの、尋常ならざる直観力、洞察力と行動力を持つ高杉晋作と比することは出来ない。(この二人の関係はデスノートのニアとメロみたいなものだとwニアが先に死ぬから無茶苦茶になったともいえますw)
実際、松下村塾で優秀だったのはこの二人くらいで、桂は明らかに他の塾生と違い松陰の影響が少ないし、井上は・・・だし。山県はかかわりは薄いし、能力的にも?村田蔵六にいたっては全く関係ない。

幕末の長州の有能な人材って個人的には、久坂、高杉、桂、村田の4人が抜け出てると思うなぁ。
薩摩の二人の前では皆小粒だよなぁ・・・・
とはいってもT.Nは幕末の人物としては高杉が一番好きです。

日本の歴史の中で一番面白いのは南北朝時代でその次が幕末だなぁ。
戦国時代はどーも粒の小さい奴が過大評価されすぎているし、天下統一が目標化してしまっていて・・・
時間を戻そうとした後醍醐天皇や、強引に時間を進めた維新(徳川幕府が止めていた時間を一気に取り戻したともいう)と比べると、信長のような特異な存在が無ければ社会的変革度合いは少なかった戦国時代はそうした面白味が少ないです。

多くの才能が早世してしまった維新の中生き残った博文公も凶弾に倒れてしまったというのはなんともやるせないことだと思う。

安重根について [歴史]

 アン・ジュングンが伊藤博文の罪悪としてあげた15項目。

 第一、1867年、大日本明治天皇陛下父親太皇帝陛下弑殺の大逆不道の事。
 第二、1894年、人を使って韓国騎兵を皇居に突入、大韓皇后陛下惨殺の事。(注:実際は1895年、朝鮮兵による反逆)
 第三、1905年、兵力を以て大韓皇室に突入。皇帝陛下に五ヶ条の条約を強制した事。(放置しておくと破綻する可能性があった)
 第四、1907年、さらに加えて兵力突入。韓国皇室抜剣して脅かし七ヶ条の条 約を強制した後、大韓皇帝陛下を譲位させた事。
 第五、韓国内の山林、川沢、鉱山、鉄道、漁業、農商工等業すべてを奪った事。(両班による独占体制を壊したというのが真実)
 第六、いわゆる第一銀行券使用を勧めて混乱を犯し、国の財政を枯渇せしめた事。(当時の朝鮮では貨幣経済が未発達であった)
 第七、国債1千三百万元を韓国に負わせた事。(閔妃の浪費により国庫が空になっていた)
 第八、韓国内地学校の教科書を没収焼火、内外国新聞に伝えず人民などを騙した事。(学校はほとんど無く就学者は両班の子弟のみだったため、国民学校へ切り替えた)
 第九、韓国内地で幾多の義士が蜂起。国権の回復を望む者を暴徒と称してある者 は銃で、ある者は絞めて殺戮。甚だしきは義士の遺族、親戚にいたる全員におよ ぶも絶えず。奢戮者は、十余万人に当たる事。(平民として労働に従事することを余儀なくされた両班が野盗化し、農村を襲い、貧民化した農民が野盗となる悪循環を断ち切るため)
 第十、韓国青年の外国遊学を禁止した事。(閔妃の浪費により外貨が尽きていた)
 第十一、いわゆる韓国政府大臣五賊七賊等、一進会の輩と締結。韓人が日本の保護を望んでいる云々の事。(ロシアと近づきすぎていたため危険を感じる知識人は多かった)
 第十二、1909年、更に五ヶ条の条約を強制した事。
 第十三、韓国三千里の国土を日本の属邦となさんと宣言せし事。
 第十四、韓国1905年より都に安日なく、二千万の生霊、声を天に振り上げて 哭く。殺戮絶えず。砲声弾雨いまに到ってやまず。然し独り伊藤は、韓国は太平 を以て無事と上は明治天皇 を欺いた事。

:ほとんど嘘でかためられた歴史認識であるけれど、不思議なのはなぜか日本の天皇家にたいしての忠誠心を見せていること。
メンタリティとしては朝鮮人というよりもアジア人であったのではないかと推測される。

孝明天皇の死については明治初年に長崎市稲佐で青年学校を開いた渡辺平左衛門という人物が、徳川慶喜の命で孝明天皇の死の真相を調査したらしい。その結果、実行犯は伊藤だとして、そのことを青年学校の生徒たちにも話していたと言う。こんな説を安重根に吹き込めるのは日本人ではないかと思う。

伊藤公殺害に使用された凶器のFNブローニングのシリアルは262336これはロシア軍に納入されたものの一つである。
ロシア軍関係者が一枚噛んでいたと考えられる
大東共報社を経営していたミハイロフが用意したという情報が事件後にあった。
ロシア軍部と強いつながりを維持したまま、ジャーナリズムの世界の住人になっているという人物。

暗殺現場に居合わせた室田義文の証言がある。室田は釜山総領事やメキシコ公使をつとめた人物で、貴族院議員。このとき、伊藤に随行していた。
 室田は、伊藤はハルピン駅の二階の食堂からフランスの騎馬銃で撃たれたと証言した。ブローニング社の拳銃ではないのだ。

室田証言
「安重根といふ犯人に擬された男は、あの儀杖兵の間からピストルを突き出してゐた小さな朝鮮人のことだらうか、と言ふことであった。若しさうだとすると、重大なる疑点が生じてくる。と言ふのは、伊藤がうけた右肩から斜下への傷である。

伊藤がうけた弾痕である。それは決して安重根の持ってゐたピストルの弾丸ではなく、仏蘭西の騎馬銃の弾丸であった。


一番近い距離に居た室田の証言は説得力がある。

仮に安を実行犯の一人だとしても、安は未遂であったことになる。

では真犯人は?

1・日本国内の併合促進派
:ロシアが協力するとは思えません。
2・半島の民族主義者。
:日本側が真犯人を隠す必要は無い。
3・ロシア
:親露派の伊藤を暗殺してもプラスにならない。
4・ロシアの反政府活動家
:日本が半島に進出すれば東方へ軍を回さざるをえない状況が生まれ、
日本にとってもロシアの脅威から逃れられる。

ベルリン博物館 [歴史]


アクエンアテン(ツタンカーメンの父?)の正妃ネフェルティティの胸像かぁ・・・・
ネフェルティティは出自、没年が全くわからないけれど、クレオパトラと並ぶ古代エジプトの美女であったらしい。
なぜわからないのかというとアクエンアテンがアメン神信仰からアテン神信仰に変えて遷都した挙句失敗して、
アメン神信仰にもどったおりに、消されてしまった王統だから。
ツタンカーメンもだから存在が知られていなかった。

なぜ失敗したかというとアメン神は平和の神と言ってアクエンアテンは戦争を否定した。そしたらヒッタイトに攻め込まれた。
これが原因。

平和主義者が戦争を起こした最古の例だとも言える。

3400年前からあったことが理解できない国もありますなぁ

御柱祭 [歴史]

来年は善光寺の御開帳より数段歴史も地元の信仰の厚さがある御柱祭です。
なぜ諏訪の信仰が残ったのか?
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これを持っていると肉を食っても神罰が当たらないと言うありがたい鹿食免。
肉食の肯定という諏訪信仰は温厚で農耕的な伊勢信仰とは一線を画すと言っても良いです。
大体、上社では正月早々蛙を生贄にする神事から始まる。参門に掲げてある「鳥獣捕獲の禁」は諏訪の場合神社で獲る分が減るからなのかも。
更に神長官を代々務めてきた守矢家の資料館では
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いきなりこれである。
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もはや伊勢の太陽信仰とは全く違うw
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T.Nは狩猟文化の根城が諏訪だったのだと思っている。黒曜石で有名な霧が峰、尖石遺跡とのつながりがあったと思う。
あくまでも推測だけれど、主祭神の建御名方は武甕槌に負けて諏訪の地に逃げ込み、幽閉されたが神威によって周辺住民とモレヤ神の軍を打ち破ったことになっているけれど、諏訪入りして敗北そしてその無念を弔うために「諏訪大社」と言う神社と言う形態になったと考えていたりします。「国譲り」を拒否した建御名方を倒したということで物部氏との曰くありげな関係もすっきりするかもしれない。

もっというと、「国譲り」の先鋒として諏訪に乗り込んだものの、武甕槌と経津の後詰が諏訪勢に蹴散らされて逃げたため敗れたため、藤原氏の名誉のために、武甕槌に負けたとされているのかもしれない。ある意味武甕槌のせいで敗北しているのだから。
物部氏が諏訪を筆頭とした「狩猟文化圏の王」と言う形でヤマト政権の重鎮となったのはそういう可能性もある。

ただ記紀の編纂に関わったのが不比等なので本当のところは闇だ。

前宮の裏山の古墳は誰が埋葬されたのか?ワクワクします。

JFK暗殺 [歴史]

リンドン・ジョンソンのスキャンダル

・日本では鳩ポッポの「故人献金」で問題になっているけれど、ジョンソンの場合、「故人投票」が行われている。
JFKもジアンカーナの力を借りてシカゴでは似たようなことをやっているけれどw

・キャンペーンマネージャーは殺しの前科のあるKKKのメンバー

・48年の選挙に負けると5日も経ってから、票の見直しを要求し、数えなおしたら百票差で逆転。相手側も即時「投票用紙」の確認を要求するが、管理人が「誤って」投票用紙は燃やされてしまった後であった

・ジョンソンの「土地ころがし」の片棒を担いだブラウン・ルート社の従業員が社からの「賞与」全額をジョンソンに寄付していた。寄付をしていない従業員には賞与はでていないw

・通信委員会の役員であった頃、免許取り消しを公表→株価暴落→ジョンソンが買うと言うパターンでオースチン区のTV局をがすべてジョンソン家の所有となる

・エステス・スキャンダル
ジョンソンの友人エステスは水害で浸水した土地にも綿花の作付け割り当てを受け尚且つ交換して利益を上げていた。農務省の調査員マーシャル氏がレポートをワシントンに提出すると、ボルトアクションのライフルで5発打ち込まれ遺体となった。なぜかテキサスの検事局は自殺と断定した
更にエステスの会計士も遺体で発見された
エステスはその後裁判で負けるが、ジョンソン治世下の65年再審請求が通る(この手の事件で再審請求が通ることはUSAでは非常に稀)最新の決定を出した最高裁判事の一人はアールウォーレンであった

・TFXスキャンダル
海軍の戦闘機にテキサスのゼネラルダイナミクス社を強引に押し込んだ。

・ボビーベーカースキャンダル
院内総務秘書ボビーベーカーが給料より高い家賃の家に住むことが出来る理由にジョンソンが手を貸していた。

・女関係も多いが、こっちはどう逆立ちしてもJFKにはかなわないwJFKは常時複数の性病に罹っていたという話もある。

JFK暗殺 [歴史]

ジム・ギャリソンは保守派、CIA中心に、シークレットサーヴィス、FBI、などに対して強く疑惑を抱いているようです。
CIAのアレン・ダレス、赤狩りで有名なマッカーシーとJFK、の関係を考えると、(日本では黒人政策によってJFKはニクソンよりリベラルと見られているけれど、「反共」という点ではニクソンはケネディに及ばなかった)
保守派という線は薄い。

またマフィアというのもいささか疑問が残る。マフィアであれば、ウォーレン委員会は「謀殺」という結論を出しても問題は無い。「組織犯罪は無い」と断言していたFBIは少々困ったことになるかもしれないが、FBIトップに長く君臨しすぎたフーバーを切るには格好の口実だったと思う。

JFK暗殺に関わったと思われる人間の出自よりも、事件後の証拠隠滅、ウォーレン委員会の結論ありきの調査という点を考慮すれば、そうした権限を持った人間が疑われてしかるべきだと思う。

日本刀で何人人が切れるのか? [歴史]

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/
の文献紹介で備前長船クラスの名刀なら何人でも斬れるという話をのっけてますが。

じゃ足利義輝の最期を検証してみますか。

死を覚悟した彼は秘蔵の名刀を全部床に突き立て、それを取替えつつ多数の敵兵を斬り倒してます。
腕前も塚原ト伝の「一の太刀」を伝授され、「剣聖」上泉伊勢守秀綱のもとで技を磨いた剣豪といっても過言ではない腕前。常に刀を使うことを念頭に日常を暮らしその中で腕を磨いた義輝と帝国陸軍の徴兵された兵士辺りとは刀の扱いが全く違う。足利将軍家に伝わる名刀であれば、兼光の長船と比しても優るとも劣らないと考えられる。(大体、長船もピンキリだしね)
彼らの言い分では「腕前と名刀があれば何人でも斬れる」と言うことですが、
では戦場と言う生きるか死ぬか場でなぜ剣豪将軍は秘蔵の名刀とっかえひっかえしながら戦わねばならなかったのでしょうか?
取り替える間というのは致命的なのに取り替えたわけは、やはり、一本の刀で斬れる人数には限界があるということ。
もしくは、義輝の剣技が稚拙であったことでもどう考えても、帝國軍人よりは腕前は上とも言える。

信頼度がという向きには、当時の常識として「一本の刀で多数を斬れない」と言うことだったと考えれば合点がいくと思う。
それが昭和初期より日本刀が身近だった時代の常識である。



信玄と言えば [歴史]

NOBUさんに武田信玄といわれるまですっかり神社探索の整理を忘れていた。
タミフル恐るべし。
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八剣神社です。諏訪湖の対岸の上社本宮と御渡り神事を行っている神社。
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神明造りの本殿が2棟。
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晴信の寄進状これで思い出したと言う次第。
moz-screenshot-1.jpg     朝日新聞のサンゴ捏造  記念日は4月20日
人権擁護法案に猛烈に反対してます ブログを作る(無料) powered by SSブログ national_flag2.gif

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